2009年05月09日

2009年3月25日の日記


「佐久病院再構築問題の今日(’09年3月)」

1.《現在の問題》
2月7日の県知事裁定・三者合意の後も、佐久市当局がこの問題について、これまでと同じような姿勢をとり続けていることが、地域医療にとっての大きな問題である。2月13日信毎(新聞)によると、三浦市長は「臼田が了解するまで事務レベルの協議にはならない」。三者合意では「臼田の了解」を、「条件」とはしていない。
その後の議会でも市当局は同様の答弁をしている。三者合意の「所要の手続き」をしないための理由を探している、とも、以前と変わらない姿勢、とも言える状況を示している。市当局の担当者が変わらない限り、当然とも言えよう・・・。

2.《問題の長期化の原因》
病院建物老朽化(最古で築45年)・駐車場(が、離れた河川敷にしかおけない)問題をはじめとする佐久病院再構築問題は、10年にも及ぼうとしているが、なぜ長期化したか?

1)当初、佐久病院は地元臼田での再構築を計画したが、(時間条件及び結果において)当時の臼田町(佐久市等との合併前)の町内で土地が見つからなかった
2)そこに、旧佐久市三浦市長から、佐久南インター近傍の立地提案があった、とのこと
3)それが進展せず、佐久病院がツガミ跡地を購入
4)佐久市が工業専用地として病院建設を認めず。

・・・長期化の原因は、時々の要素も含め多々あるが、問題を「佐久広域あるいは長野県全体の医療の問題」と捉えられる関係者、具体的には、住民、町村市民、関係自治体、関係医療関係機関、等々、が少なかったこと、と言えよう。
市民・住民からすればこうなる・・・「問題は地域の医療だ。形式的に言えば、佐久病院の再構築でなくても、医療の安心が保障されればよい。しかし、具体的選択としては佐久病院の再構築しかない。一方、佐久市はツガミはだめだと言いながら医療を保障する代替案を提示せず、問題解決に向かわなかった」
こうして不幸なことに構図は、「厚生連・佐久病院」対「佐久市」になってしまった。この泥沼化とも言える状況が続く中、医療崩壊と言われる事態は全国的にも進み、県はこれを看過出来ず仲裁に入った。そして、

3.《今後、知事裁定の「本旨」で進めるべきだ》
「・・・どちらの理解にもうなずける点と足らざる点がある」(県ホームページ「知事会見」より)として2月7日、村井知事が裁定案を提示し、県・佐久市・厚生連佐久病院の三者合意となった。これにより、これまでのいきさつは解消して「基幹医療センターの建設は、まずツガミ跡地を候補地とし、佐久市及び厚生連は、所要の手続きに入るものとする。」(第三項)となった。
従って、これまでの経緯にこだわらず、裁定合意の本旨どうり、「臼田の不安解消」を十分に・手厚く、しかも早急に行いながら、これと並行して、「ツガミ跡地で事務手続き」をこれも早急に(医療を取り巻く現状から)進める、ことが住民の望む道筋となるでしょう。


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